こんにちは。るみともです。
現在、48才、2人の娘をもつ主婦です。
長い間、抜け毛、円形脱毛症、無気力に悩まされてきました。
その原因が橋本病にあるとわかったのが7年前の41才のときです。
会社の健康診断で甲状腺機能低下症(橋本病)と診断されました。
橋本病とわかるまでの記事はコチラ↓
橋本病体験記1 ~長年の抜け毛は橋本病が原因だった!?~
23歳頃、円形脱毛症を発症し、一時は10ヶ所くらいできてました。
10円玉くらいの大きさでいくつも脱毛箇所がありました。
10円ハゲとはよく言ったものです。
その頃、橋本病の症状は、まだ円形脱毛症だけで、何もしたくない無気力感や日中の眠気はありませんでした。
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23歳。円形脱毛症になる
最初、円形脱毛を見つけた時はショックで・・・
幸い、髪がものすごく多かったので頭皮が見えることはなかったのですが。
なんで円形脱毛症になったのか?
仕事のストレス、人間関係。
人並みに悩みはあるけど円形脱毛症なるくらいの悩みなのか?
頭ではそこまで悩んでないつもりでも、身体に現れたのか・・・
円形脱毛になったことが悩みでした。
円形脱毛症になった23歳、高校を卒業して就職し5年目。
事務の仕事をしていました。
入社した当初から、会社辞めたい病でしたが、辞める、辞めるといいながら5年目に突入していました。
(結果、第一子出産するまで14年もこの会社に居座りました!)
今思うと14年も同じ会社で働けたということは、居心地は良かったのだと思います。
しかし、当時は会社の人間関係があまり良くなく、気の合う同僚もおらず居心地のいいものではなかったのです。
円形脱毛の原因が会社の人間関係だったのかはわかりません。
悩んでいたわたしをみかねて友人の紹介で皮膚科に通い始めました。
円形脱毛症なら皮膚科でしょ。
まさか橋本病の症状に円形脱毛症があるとは当時は知らず。
橋本病という病名さえ知らなかったので皮膚科を選択しました。
ドライアイスで頭皮の脱毛部分をしっかり当てるドライアイス療法です。
こんなんで効くのか!
とも思いましたがネットで調べると今もこのドライアイス療法はありました!
頭皮を刺激して血流を良くして発毛促進させることを目的とします。
治療から3ヶ月ほどしたくらいで脱毛箇所から産毛が生えてきました。
すぐ、本当の髪の毛になって今までと同じ髪質の太い髪になってきました。
髪が生え始めては違う箇所が円形脱毛になり1年ほどは治療したと思います。
割とすぐ生えそろい円形脱毛症はおさまりました。
とにかく髪の量が多かったので、誰にも気づかれることはなく、髪の分け目を変えたり、結んだりしながら乗り切りました。
その時はこの先ずっと抜け毛に悩むことになるとは思ってもみません。
円形脱毛症が治ると、たまたまなっただけだろうと深く考えないようになりました。
23歳と若かったので髪の伸びも早く、すぐ健康な髪が生えてきたので安心していました。
多分その時に橋本病の疑いがかかったとしても当時の私はスルーしてたと思います。
橋本病の検査をこの時にしていたらもっと早く治療ができて、抜け毛のことも最小限に抑えられて、症状も軽かったのでは・・と思うこともあります。
何事も早期発見、早期治療が大事だと思うからです。
でも、知らなかったんだよな~橋本病。
25歳。抜け毛、何もしたくない無気力感
円形脱毛症も無事完治し、髪の長さも揃ってすっかり円形脱毛症のことも忘れていた25歳。
またなんか抜けてきました。
今度は円形脱毛ではなく全体的に抜けてきているのです。
気のせいかな・・いや、気のせいじゃない。
なにかイヤ~な抜け方なんです。
その頃は髪の量がハンパなく多かったので最初はまあいいかくらいでした。
でも、指で髪をさわるだけでスーっと髪が抜けてきます。
髪をブラッシングする時やシャンプーの時も日に日に抜け毛が増えていきました。
前回の円形脱毛症のこともあり、また皮膚科へ。
その時は円形脱毛症の時と違って、特に治療することもなく、薬を飲むこともなく行かなくなりました。
と同時に、何もやる気が出ない無気力感に陥っていたのです。
抜け毛が始まった25歳の頃は一番仲の良い親友2人が自分のやりたいことを見つけて、それぞれ頑張っている時でした。
中学生のころからの付き合いで、心から信頼できる友人です。
その2人とは今もずっと親友です。
社会人になってからもしょっちゅう3人で遊びに行ったりしていました。
そんな仲良し3人組だったのに、他の2人がやりたい仕事に挑戦したり、自分が打ち込めることをを見つけて頑張っている姿を見て、急に2人が遠くに行ってしまったような気がしてすごく焦っていたのです。
将来の姿が思い浮かべれない、何も打ち込めるものがない。
仕事に没頭することもなく、興味を持つ趣味もない。
本当に何もしたくない日々。
ポジティブにほど遠い思考になっていました。
やる気も出ず、何にも興味を示せず、毎日が楽しくない。
休みの日も家にこもって何もしない。
考え方もひねくれてきて、自分でも嫌な人間だったと思います。
親友がうらやましかったり・・自分だけ何もないことに落ち込んだり・・
20代で一番苦しかった時期です。
一番人生で楽しい時期なのに考え方がネガティブになって、意地悪な気持ちになり毎日悶々と過ごしていました。
今思うともったいない。
時間を返せ~って感じです。
ねたみも出てきて暗かったです。
その状態は3年くらい続きました。
ながっ!!
長かった・・・
とにかく、抜け毛も治まらず、今度は内科に行くことに。
私の住む地方では、当時は心療内科や、カウンセリングとか無かったです。
調べる手立ても電話帳くらい?
あと、口コミ。
内科で診てもらったところ、自律神経失調症ぎみとのこと。
その時も血液検査もしなかったので本当のところがどうなのかはわかりません。
特に治療することもなく通院は1回でやめました。
なにかしっくりこず・・・
まだまだ橋本病発見には至らず・・・
長いトンネルに入った気分でした。
人に会うのがおっくうになり、顔中に吹き出物が大量に出来て明らかにホルモンバランス崩れていました。
抜け毛は止まらず、でも髪の量が多かったせいで、見た目は全然減ったようには見えません。
まだ深刻な状態になっていなかったので、髪に対する具体的な対策は何もしていませんでした。
パーマもかけていたし、カラーもしていました。
育毛に関しても特に何も情報収集せず、シャンプーも市販のものを使っていました。
向上心がわかない無気力状態は3年ほど続き、いつも不満そうにしていたと思います。
女性の25歳からの3年は大事な時期です。
そんな大事な時期に、私はひねくれた性格で原因不明の抜け毛、無気力、大量の吹き出物と戦っていたのです。
あ~もったいない!
抜け毛は相変わらず続いていたけれど、少しづつ気持ちの変化はありました。
28歳。心は安定するも抜け毛は減らず。さてどうしたものか?
というのも親友の二人が次々に結婚し、家庭を持ち、最初は先を越された~!!と、またまた焦っていました。
しかし・・
先を越されたおかげてもう張り合う必要もなくなり急に肩の荷がおりたように自然に振る舞えるようになったのです。
人生のパートナーができて羨ましい気持ちはあったけど、私は私でいっか!と開き直りといいますか・・
気持ちが少しづつ楽になってきたあたりから、顔中の吹き出物も徐々になくなり、やっと心が晴れつつありました。
会社の人間関係も、新しく入った後輩と、一回り上の先輩二人と仲良くなり、仕事も楽しくなってきていました。
やっとか・・・
会社を辞めて16年経ちますが、今でも年1回、4人で食事会を開催します。
周りの環境も良くなり、前の明るい自分を取り戻すことができて心は安定していた時期です。
しかし、抜け毛は減らず・・
アラサ―になり、抜け毛が減らない状況で、どうしたものかと悩む日は続いていました。
シャンプーを市販のものから美容室のシャンプーに変えて、パーマもやめて、カラーもやめて。
とにかく髪を傷めないように、頭皮を傷めないように気を使い始めました。
出来ることからやってみようと思ったからです。
シャンプーを変えて、パーマ、カラーもやめても抜け毛は治まらなかったです。
今思うと橋本病の症状の一つだったんだ!とわかるけど、その時はどうして髪が抜けるのか?わかりませんでした。
髪が抜ける以外にも、コレステロールの上昇、日中眠いの症状はありました。
コレステロールは社会人になってすぐの健康診断で既にコレステロール高かったので、体質的なもの、家族も高かったので遺伝もあると思っていてたいして気にしてなかったです。
昼間眠いのは20代前半から続いていたけど、まさか橋本病の症状の一つとは知らなかったので、単なる寝不足なのだろうか・・と思っていました。
この複数の症状が橋本病にあてはまると知るのはずっと後になります。
昼間眠い症状は40代後半になった今も続いています。
仕事中困る・・
休みの日も、午後になると必ず眠くなるので、子供たちから怠け者扱いされるのです。
抜け毛、日中眠い、コレステロールの上昇、この症状がまさか一つの病気とは・・・
唯一の救いは無気力感からは脱出したことです。
でも長い抜け毛との戦いはこれからまだまだ続きます。
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